交通事故の被害者が保険会社から示談案の提示を受けたとき、「思っていたより慰謝料が少ない」と感じることがあります。これは、交通事故の慰謝料には「自賠責基準」「任意保険基準」「裁判基準(弁護士基準)」という3つの異なる算定基準が存在し、どの基準を用いるかによって金額が大きく変わり得るためです。
本記事では、交通事故(人身事故)における入通院慰謝料(傷害慰謝料)を中心に、3つの基準それぞれの内容、根拠、相互の関係性を整理します。
交通事故の慰謝料とは何か
慰謝料とは、事故によって被害者が受けた精神的苦痛に対する賠償です。交通事故の人身損害においては、主に次の2種類の慰謝料が問題になります。
- 入通院慰謝料(傷害慰謝料):受傷から症状固定までの入院・通院という事実自体によって生じた精神的苦痛に対する賠償
- 後遺障害慰謝料:症状固定後に後遺障害が残った場合の、後遺障害そのものによる精神的苦痛に対する賠償
本記事で扱うのは、主に前者の入通院慰謝料の算定基準についてです(後遺障害慰謝料は等級ごとに別の算定がなされます)。
基準1:自賠責基準
自賠責保険の位置づけ
自賠責保険(自動車損害賠償責任保険)は、自動車損害賠償保障法(自賠法)に基づき、すべての自動車・原動機付自転車に加入が義務付けられている強制保険です。自賠責保険から支払われる保険金は、自賠法16条の3に基づく「支払基準」(金融庁・国土交通省の告示)に従って算定されます。この支払基準に定められた算定方法が、いわゆる「自賠責基準」です。
自賠責基準における入通院慰謝料の算定方法

自賠責基準の入通院慰謝料は、1日あたりの定額(日額)に、対象となる日数を掛けて算定するという、非常にシンプルな仕組みになっています。
- 日額:令和2年(2020年)4月1日以降に発生した事故については日額4,300円(それ以前に発生した事故は日額4,200円)とされています。
- 対象日数:「治療期間(初診日から症状固定日までの総治療日数)」と「実治療日数(実際に治療のために通院・入院した日数)×2」のいずれか少ない方が採用されます。
例えば、通院期間が100日で実通院日数が30日であった場合、「治療期間100日」と「実治療日数30日×2=60日」を比較し、少ない方である60日が対象日数として採用され、4,300円×60日という形で算定されます。
自賠責基準は、被害者の状況に関わらず最低限の補償を迅速に行うための定額的な基準であり、3つの基準の中では最も金額が低くなります。また、自賠責保険には支払いの上限額(傷害部分について120万円)が定められており、治療費・休業損害等と合算してこの上限の範囲内で支払われる点にも留意が必要です。
基準2:任意保険基準
任意保険基準とは、各損害保険会社が独自に定めている算定基準です。任意保険会社は、示談交渉の初期段階で、この任意保険基準に基づいて算定した金額を被害者に提示することが一般的です。
任意保険基準の具体的な内容は各社の内部資料であり、外部に公表されていません。ただし、一般的な傾向として、自賠責基準よりは高く、後述する裁判基準よりは低い金額になるよう設定されていると言われています。保険会社は営利企業として支払額を適正な範囲に抑える必要があることから、このような水準になるのは自然な帰結ともいえます。
被害者本人が保険会社と直接交渉する場合、多くのケースでこの任意保険基準に基づく金額が最初の提示額となるため、「保険会社の提示額=法律上認められる正当な金額」とは限らないという点を理解しておくことが重要です。
基準3:裁判基準(弁護士基準)
裁判基準とは
裁判基準(弁護士基準とも呼ばれます)とは、過去の裁判例の集積に基づいて形成された、訴訟における慰謝料算定の目安となる基準です。実務上広く参照されている資料として、以下の2つが代表的で、一般的には前者が採用されることが多いです。
- 「民事交通事故訴訟損害賠償額算定基準」(通称:赤い本):公益財団法人日弁連交通事故相談センター東京支部が発行する資料。装丁の色から「赤い本」と呼ばれます。
- 「交通事故損害額算定基準」(通称:青本):日弁連交通事故相談センター本部が発行する資料。同じく装丁の色から「青本」と呼ばれます。
これらの資料には、入院期間・通院期間の組み合わせに応じて慰謝料額の目安を示す表(入通院慰謝料算定表)が掲載されています。表は主に2種類に分かれています。
- 別表I:骨折等、他覚的な所見(レントゲン・MRI等の客観的な検査で異常が確認できる状態)を伴う通常の傷害の場合に用いる表
- 別表II:むちうち症(頸椎捻挫等)で他覚的所見がない軽傷の場合に用いる、別表Iよりも低い金額水準の表
参考として、赤い本に掲載されている入通院慰謝料の金額イメージを、代表的な組み合わせに絞って示します(単位:万円)。
| 期間 | 別表I(通常の傷害) | 別表II(むちうち等軽傷) |
|---|---|---|
| 通院のみ1か月 | 28 | 19 |
| 通院のみ3か月 | 73 | 53 |
| 通院のみ6か月 | 116 | 89 |
| 入院のみ1か月 | 53 | 35 |
| 入院1か月+通院3か月 | 115 | 83 |
| 入院3か月+通院3か月 | 188 | 128 |
裁判基準が採用されやすい場面
裁判基準は、その名のとおり本来は訴訟において裁判所が用いる基準ですが、実務上は、弁護士が示談交渉に介入した場合にも、この基準に基づく金額を前提とした交渉が行われることが一般的です。そのため「弁護士基準」とも呼ばれ、被害者本人が直接交渉する場合よりも、弁護士が代理人として交渉することで、慰謝料額が裁判基準に近づく(増額する)傾向があるとされています。
3基準の関係性

以上のとおり、3つの基準それぞれに基づいて算定された慰謝料額には、一般に「自賠責基準<任意保険基準<裁判基準」という金額水準の違いが生じます。それぞれが使われる典型的な場面を整理すると、以下のようになります。
- 自賠責基準:加害者が任意保険に加入していない場合の最低限の補償
- 任意保険基準:被害者本人が保険会社と直接示談交渉を行う場面での提示基準
- 裁判基準:弁護士が代理人として交渉する場面、および実際に訴訟に至った場面での算定基準

同じ交通事故でも、示談交渉の進め方によって最終的な受取額が変わり得るのは、このように依拠する基準が異なることが大きな要因です。特にむちうち症等の軽傷であっても、通院期間が長期にわたる場合には、基準の違いによる金額差が大きくなる傾向があります。
3基準を理解するうえでの留意点
過失相殺との関係
いずれの基準で算定した慰謝料額であっても、被害者にも過失がある事故の場合には、後述の過失割合に応じて金額が減額される(過失相殺)点は共通です。基準の選択と過失相殺は別の問題であることに注意が必要です。
傷害の内容による増減額事由
裁判基準の入通院慰謝料算定表は、あくまで入院・通院の期間から機械的に導かれる目安です。実際の裁判例では、特に精神的苦痛が大きいと評価される具体的な事情(重大な傷害、手術の回数、後遺障害の内容等)がある場合には、表の金額から増額されることがあります。逆に、通院の必要性・相当性自体が争われる場合(不定期な通院、長期間の通院中断等)には、実治療日数等を踏まえた減額の対象となることもあります。
自賠責基準における対象日数の考え方の重要性
自賠責基準は日額が定額であるため、対象日数の算定方法(「治療期間」と「実治療日数×2」のいずれか少ない方を採用する仕組み)を正確に理解しておくことが、実際の受取額を見積もるうえで重要です。実治療日数が少ない(通院頻度が低い)場合には、対象日数も少なくなり、慰謝料額が低く算定される結果になります。
「基準の違い」を正確に理解することが交渉の出発点になる
交通事故の慰謝料交渉において、保険会社から提示された金額が、どの基準に基づいているのかを見極めることは、適正な賠償を受けるための重要な第一歩です。任意保険基準に基づく提示額をそのまま受け入れるのではなく、裁判基準ではどの程度の金額が想定されるのかを把握したうえで、示談に応じるかどうかを判断することが望ましいといえます。
プロスパイア法律事務所
代表弁護士 光股知裕
損保系法律事務所、企業法務系法律事務所での経験を経てプロスパイア法律事務所を設立。IT・インフルエンサー関連事業を主な分野とするネクタル株式会社の代表取締役も務める。企業法務全般、ベンチャー企業法務、インターネット・IT関連法務などを中心に手掛ける。



