一 この文書は何をしているのか
1 契約書がなくても契約は成立する
契約書の話を始める前に、確かめておくことがあります。契約は、契約書がなくても成立します。
実務書では、契約とは当事者間に法的な効果を生じさせる合意(約束)をいうとし、契約は原則として申込みと承諾という意思表示の合致により成立する(民法522条1項)と説明されています(注1)。そして、契約は書面で行われる場合も多いが、原則として口頭でも成立する(民法522条2項)とされています(注1)。
別の実務書も、方式の自由について、何人もどのような形式で契約を締結してもよいし、方式を備えることすら不要であるとし、契約は原則として当事者の合意のみで(口頭合意で)成立する(これを「諾成契約」という)と整理しています(注2)。民法の典型契約13種類のうち、消費貸借を除く12種類が諾成契約だ、とも書かれています(注2)。
例外はあります。同書は、方式の自由から導かれる諾成契約の例外として、一定の方式によらなければ契約が無効または不成立となる「要式契約」があり、要式契約には「書面による契約」と「要物契約」があるとし、前者の例として保証契約(民法446条2項)や諾成的消費貸借(民法587条の2)、事業用定期借地権設定契約(借地借家法23条3項)などを挙げています(注3)。
裏を返すと、この例外に当たらない大半の取引では、「契約書の存在」は成立要件ではありません。 それでも作るのは、別の理由があるからです。
2 契約が成立すると何が起きるか
契約が成立すると、その契約に基づいて当事者に権利、義務が発生するとし、契約に従った履行をしなかった場合には、契約の相手方から履行請求を受ける、さらに損害が生じた場合には損害賠償請求を受けるなどといった形で、当事者が合意に法的に拘束されることとなります(注4)。
契約書は、この権利義務の中身を、後から確かめられる形にしておく文書です。
二 よくある誤解
1 契約書を作れば安心
契約書があっても、中身が自社に不利であれば、その不利な内容で拘束されます。
ある実務書には、印象的なコラムがあります。取引の相手方が自社ひな型での取引基本契約の締結を求めてきたが、その内容は「俺のものは俺のもの。おまえのものも俺のもの」といった条件で、相手方は変更要求に一切応じなかった。自社の製品には競争力があり相手方は購入を積極的に希望していたので、契約書を結ばず受発注伝票で取引するよう営業に指示した、という事例です(注5)。
この取引は、4〜5年後に相手方の購買部長が交代し、両社納得のいく内容で契約を締結できたと結ばれています(注6)。同書は、契約書を締結しないで取引を行うことはコンプライアンス違反であると主張する会社があるとしたうえで、契約書を締結するとしたら非常に不利益な条件を呑まざるを得ないこともあるとし、契約書作成自体がコンプライアンス上重要(契約書を作成しないことはコンプライアンス違反)であるという考えはいかがなものだろう、と書いています(注6)。
2 印鑑を押せば有効
押印は、契約の成立要件ではありません(民法522条2項)。押印がもつのは、訴訟になったときに文書の成立を証明しやすくなるという位置づけです。
3 ひな型があるから大丈夫
ひな型は、ある取引像を前提に作られています。その前提と実際の取引がずれていれば、ひな型どおりに作った契約書は取引を写していない状態になります。
三 3つの機能
実務書は、契約書を作成する目的を、契約成立の証拠と契約内容の証拠とするためであるとし、契約書を作成することにより、契約の存在・内容について後日の紛争を予防するとともに、契約書に任意規定と異なる規定(特約等)を設ける等によりリスク管理を行い、また債権管理・債権回収に役立てるのだ、と整理しています(注7)。
本稿では、これを3つの機能として並べ替えます。
1 合意の証拠
何を合意したかを、後から示せるようにする機能です。
実務書では、証拠力を、1つの証拠資料が事実認定に役立つ効果(証拠としての信憑性)をいい、証拠方法が文書である場合には形式的証拠力(文書が真正に成立したか否か)と実質的証拠力(形式的証拠力が肯定された後における信憑性の程度)に分かれる、と説明されています(注8)。
契約書は、証拠のなかでも特別な位置にあります。同書は、民事訴訟手続において文書(書証)は重要な証拠方法であるが、そのなかでも契約書は特に重要な証拠であるとし、その理由を、契約書は処分証書であり、処分証書は文書中に立証命題である法律行為が含まれているので、作成者の意思に基づいて成立したこと(形式的証拠力)が認められれば、特段の事情がない限り、記載内容である契約成立の事実が認められる(実質的証拠力を有する)からだ、と説明しています(注9)。
契約書に押印するのは、この「作成者の意思に基づいて成立したこと」を示しやすくするためです。
2 紛争の予防
争いになりそうな点を、あらかじめ決めておく機能です。
同書は、ビジネス・取引等の内容を契約書に反映する過程では、当事者間のあいまいな合意事項を明確にし、将来の紛争予防につとめる必要があるとし、あいまいな契約条件や用語の不統一(同じ対象物を「商品」「商品等」「製品」と異なった表現をするなど)は契約書の解釈に疑義・混乱をもたらすので注意しなければならない、としています(注7)。
3 履行の設計
3つ目が、いちばん語られていない機能です。
実務書は、リスク管理として、将来発生が予想されるクレーム、トラブル、紛争等を事前に想定・分析したうえで、それらに対応(回避)するために、紛争等の発生時の責任・費用分担、処理方法などをあらかじめ規定しておく、としています(注10)。債権管理・債権回収についても、契約書を作成する際には、通常の債権管理や取引先の緊急時の債権回収に役立つ「期限の利益喪失条項」「約定解除条項(無催告解除条項)」「相殺条項」等の条項を設けるべきだ、としています(注10)。
これらは、争いになったときのための備えであると同時に、争いにならない平時の取引の進め方を決めています。 誰がいつ何を出すか、検収は何日以内か、支払はいつか、変更はどうやって合意するか。契約書は、取引そのものの手順書でもあります。
| 機能 | いつ効くか | 対応する条項の例 |
|---|---|---|
| 合意の証拠 | 争いになったとき | 契約書全体、後文、署名欄 |
| 紛争の予防 | 争いになりそうなとき | 定義、責任範囲、不可抗力、紛争解決 |
| 履行の設計 | 平時の取引が動いている間 | 納品・検収、支払、変更手続、報告、担当者 |
四 この連載が扱うこと
この連載は、契約書を作る側と読む側の両方から、条項を1つずつ扱います。
三の3の視点は、連載の全体に通っています。条項を見るときに「これは争いになったときのための条項か、平時の取引を動かすための条項か」を意識すると、優先順位が変わります。
本稿で扱わなかったこと
契約がいつ成立するかは04章、契約自由の原則とその限界は別稿「契約自由の原則とその限界:4つの自由と、その外側」、押印と文書の成立の推定は08章で扱います。契約書の表題が契約の性質を決めないことは、別稿『表題は契約の性質を決めない:「契約書」「覚書」「合意書」の違い』が扱います。
参考文献等
註
(注1)幅野直人『企業法務1年目の教科書 契約書作成・レビューの実務』(中央経済社、2024)2〜3頁
(注2)堀江泰夫『契約業務の実用知識〔第3版〕』(商事法務、2025)4頁
(注3)前掲注2・4頁、6頁
(注4)前掲注1・4頁
(注5)前掲注2・10頁
(注6)前掲注2・11頁
(注7)前掲注2・9頁
(注8)前掲注2・11頁
(注9)前掲注2・13頁
(注10)前掲注2・9〜10頁
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