一 どういう場面か:修正案は出したが、その先を考えていない
修正案を送ったところ、相手方から「この3点は受け入れられない」と返ってきました。事業部門から「どうしますか」と聞かれて、そこで初めて、どこまで譲れるのかを考え始める。
そうなると、判断のたびに社内へ持ち帰ることになり、返事が遅れます。相手方から見れば、決められない相手です。
交渉で最も大事なのは、前段階での準備です(注1)。このビジネスの本質は何か、自分たちの追求している目的は何なのかを整理して、それを交渉チームがどう理解し、項目によって誰がどのように相手方の誰と交渉するのかという一連の準備をしっかりやっておくことが肝になります(注1)。交渉の実務家は、準備8割と言っているほどです(注2)。
二 何を見るか
1 どこまで譲れるかを先に決める
注1に掲げた鼎談で、弁護士の発言として挙げられているのが、2つの線の区別です。まず行うべきは、自分の会社がこの取引で手に入れたいと考えている肝心要のもの、ボトムラインは何なのかについての確認作業だとしたうえで、ぜひこれは手に入れたいというものを the bottom line と仮に言うとすれば、それが相手方に聞き入れてもらえなかったとしても、fallback position、つまり、譲歩するとしても、これ以上は譲歩できないという線引きを交渉チームで確認しておくことが必要だ、というものです(注3)。
同じ発言は、交渉上のポイントとなるものについて大中小と重要度を分けて、それぞれについてある程度の腹をくくっておくことが大事だとし、これ以上は譲れないという線は、相手方がどう出てくるだろうかというシミュレーションなしには検討できない、とも述べています(注3)。
この準備がないと、交渉が立ち行かなくなる事態に陥って、交渉中に頻繁に休憩をとることになる、というのがその理由です(注3)。相手方から出てくるはずの話を事前に想定しておくことで、その場合の対応をあらかじめ用意できる、というわけです(注3)。
契約交渉の段階でいえば、ここは目標設定の段階に当たります。ミッションを実現するための具体的な目標として、最高と最低の2つの幅のある目標を設定します。この幅を「ゾーパ」と呼びます(注4)。交渉学で一般にいうZOPA(合意可能領域)は、双方が受け入れられる条件が重なる範囲を指すので、自社だけの目標の幅とは区別しておきます。
2 譲る順序
決めるのは、どこまで譲るかだけではありません。どの順で出すかも、交渉の結果を左右します。
企業の法務責任者が挙げるのは、Shopping list というものを作る方法です(注5)。のめるところ、のめないところ、捨ててもいいものを色分けして(○△×、松竹梅など)、3段階ぐらいに事前に分けておいて交渉に臨みます(注5)。そして、相手がのみやすいであろうものから提案していき、のんでもらえるものをリストの上のほうに入れて話を進めて、最後のほうに微妙なものを入れます(注5)。オーケーが続いてノーと来るのと、ノーが続いてオーケーと来るのとでは、前者のほうがよいというのが経験から言える、というのがその理由です(注5)。
これに対して、別の参加者は、逆に先に高い要求を出しておくやり方を挙げています。相手方が営業の担当者の場合はだいたい高い球を投げてくるので、こちらも高い球を投げる。最初に低い球を出してしまうと、そこからさらに下げる交渉になってしまうからだ、というものです(注6)。ただし、相手によっては怒り出す場合もあるので、よく相手を見ておく必要があります(注6)。
順序に唯一の正解はなく、相手方の担当者が誰かによって変わる、というのがこの2つの発言から読み取れることです。
3 交換できるもの
譲歩は、単独で出すより、交換の形にしたほうが通ります。
選択肢の検討では、選択肢を評価する基準を複数設定して、複数の選択肢を検討します。条件と時間を組み合わせるなどの方法により、創造的な選択肢を考えられるかが重要になります(注7)。
実務に引き直すと、交換材料は次のように作ります。
| 交換の型 | 例 |
|---|---|
| 条項どうしを交換する | 検収期間の短縮を受け入れる代わりに、責任上限を入れてもらう |
| 条件を付けて譲る | 再委託を認める代わりに、事前承諾と再委託先の管理責任を付ける |
| 時間で割る | 初年度は相手方の条件で、2年目以降は見直し協議の対象にする |
| 金額で吸収する | 条項は相手方案のまま、単価に反映する |
三 直し方
1 条項を3段階に仕分けてから交渉に入る
二の1と二の2を合わせると、準備の実体は、条項を重要度で3段階に分け、それぞれについて譲歩の下限と出す順番を決めておくことになります(注3)(注5)。
この仕分けは、社内の審査で使う仕分けと同じものです。06章の別稿「どこまで直すか」で扱った、譲れない・譲れる・どちらでもよいの3分類がそれに当たります。違うのは、交渉の準備では、そこに順番と交換材料を足しておく点です。
2 社内の合意を先に取る
譲歩の設計は、法務だけで決めても意味がありません。自分たちの中ではよい形でまとめたと思っていたら、後で物流の部門から文句が出てくることがあります(注8)。全部門的に情報を収集し、ある程度集約してから相手方に投げる必要があります(注8)。経済条件や権利の部分だけ見ればこちらが有利に見えても、実際には自社がやっているのとまったく違う運用をしなければならないことが出てくると、現場から「何だ、この契約は」と言われ、最も怖いのは契約で合意したとおりに運用しなくなることだ、というのがその理由です(注8)。
決裁のプロセスも先に確認します。ある総合商社では、大きなプロジェクトについて方針伺いと実行伺いの二重のチェック体制を敷き、多いときは取締役会まで入れて12段階ほど経ないと結論を出せないことがありました(注9)。このような社内の意思決定プロセスと、実際に交渉をしている人間の権限の範囲を、交渉の際に相手方にどう説明しておくかが、交渉を円滑に進めるうえで重要です(注9)。
役員が同席する場合にも準備が要ります。最終決裁をする人が易々と交渉の場に出てはいけないのが大原則ですが、相手方の顔ぶれによっては参加者のバランスをとる必要があり、その場合は対応する役員に事前レクチャーをしなければなりません(注9)。レクチャーの方法としては、こう言ってくださいと頼んでもそのとおりに言ってもらえることはなかなかないので、逆に言ってはいけないことのリストを作って、これだけは言わないでください、それ以外はお好きなようにお話しくださいという形にする工夫があります(注9)。
3 降りる基準を準備段階で決めておく
リスクアナリシスとして、どういうリスクがあって、これはとれるが、これはとれない、ではこうしよう、というのを事前に検討しておきます(注10)。そして BATNA(合意できなかった場合の最善の代替案)として、どこまで来れば取引を断念して代わりとなる他の取引に移るのかを考えておくことも大事です(注10)。
企業側の参加者も、どこまで行けば交渉の決裂を覚悟してよいかというところまで経営層と握るようにしていたと述べ、そう決めておかないと時間の無駄になるし、本来であれば他の相手と組めることもあるとしています(注11)。これより下の条件であればもう諦めるという合意のボトムラインを明確に決めて臨み、その準備段階の会議が一番長く、交渉より長かったかもしれない、というのがその締めくくりです(注11)。
四 相手方への説明のしかた
準備したことをすべて相手方に見せる必要はありません。ただし、2つは早い段階で伝えておくと、交渉が速くなります。
1つは、こちらの決裁の仕組みと、交渉担当者の権限の範囲です(注9)。承認までにどれくらいの期間がかかるかも、あわせて伝えておきます。もう1つは、譲れない項目がどれかです。英国企業では、交渉の余地なくこれはとらなければならない項目を“non-negotiable”と表現します(注11)。
- 「この2点は、当社の社内基準で変更できません。他の項目は、ご要望を伺って調整します」
- 「本日いただいた条件は、来週の会議にかけます。回答は○月○日になります」
譲れない項目を絞って示すほど、相手方は残りを交渉できるものとして扱えます。
五 どこまで準備するか
| 取引の性質 | 準備の深さ |
|---|---|
| ひな型どおりの定型取引 | 譲れない項目だけを決めておく。順序までは要らない |
| 相手方のひな型で進む継続取引 | 3段階の仕分けと、各項目の譲歩の下限を決める |
| 事業に影響する大型案件・国際取引 | 仕分け・順序・交換材料・決裁プロセス・降りる基準まで決め、関係部門の合意を取る |
譲歩の設計は、交渉が始まる前に終わらせておきます。交渉の場で決めようとすると、そのたびに持ち帰ることになり、決められない相手だと見られます。
本稿で扱わなかったこと
条項を3段階に仕分ける基準そのものは、06章の別稿「どこまで直すか」が扱います。合意できなかった場合の代替案(BATNA)と降りる作法は別稿「BATNAと、契約交渉における『降りる』選択」、準備から詰めまでの5段階の手順は別稿「交渉の5段階プロセス:3つのアプローチをどう回すか」、修正理由の伝え方は別稿「修正理由の伝え方:法的根拠/取引上の実害/代替案」で扱っています。本稿の出典の一つは国際契約交渉を扱った鼎談ですが、英文契約に固有の論点は別稿「クロスボーダー交渉と契約書の英文化」で扱います。
参考文献等
註
(注1)原秋彦=松木和道=中川裕一〔鼎談〕「若手実務家のための国際契約交渉の心得(1)」NBL1089号27〜28頁(2017年)
(注2)一色正彦=竹下洋史『法務・知財パーソンのための契約交渉のセオリー──交渉準備から契約終了後までのナレッジ〔改訂版〕』(第一法規、2020)25頁
(注3)前掲注1・28頁
(注4)前掲注2・49頁
(注5)原秋彦=松木和道=中川裕一〔鼎談〕「若手実務家のための国際契約交渉の心得(2)」NBL1091号31〜32頁(2017年)
(注6)前掲注5・32頁
(注7)前掲注2・49頁
(注8)前掲注1・27頁
(注9)前掲注1・27頁
(注10)前掲注1・28頁
(注11)前掲注1・28頁
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