一 いつ・誰が・何をするのか
契約書に署名・押印すれば、締結の作業は終わったように見えます。しかし、契約をめぐって争いになったとき、契約書だけで足りるとは限りません。本稿は、締結の時点で、契約書のほかに何を残しておくかを扱います。残すのは、締結を担当した事業部門の担当者と、契約書を管理する法務・総務の担当者です。
契約書は、意思表示その他の法律行為が行われたことを示す文書(処分証書)です。作成者の意思に基づいて成立したことが認められれば、特段の事情がない限り、記載のとおりに契約が成立したことが認められます(注1)。いったん契約書が締結されると、詐欺や錯誤などの特別な事情がない限り、条項どおりの契約関係が成立したと認定されます(注2)。
それでも契約書以外の記録が要るのは、次のような場面があるからです。
- 相手方が、自分の意思で署名・押印したこと(契約書の成立)を争う場合
- 条項の意味をめぐって争いになり、交渉で何を前提にしていたかが問題になる場合
- 締結の日時など、契約の意思表示そのものではない記載が争われる場合
3つめの場面について、契約書のうち処分証書に当たるのは契約の意思表示の部分であり、作成の日時、場所、立会人などの記載は、疑いがあれば他の証拠による証明が必要になります(注1)。
文書が証拠として重く見られるのは、紛争が起きる前に、通常の業務や交渉の過程で作られ、内容が固定されているからです(注3)。争いになってから集める記録より、締結の時点で残しておいた記録のほうが、証拠として働きます。
二 手順
1 何を残すか
| 残すもの | 何のために使うか |
|---|---|
| 署名・押印した契約書の原本(電子契約なら署名済みのファイル) | 契約の成立と内容 |
| 合意した最終版のデータ | 署名した契約書との照合 |
| 交渉の経緯(修正案をやりとりしたメール、打合せの議事録) | 条項の意味が争われたとき、何を前提に合意したか |
| 社内の決裁の記録 | 権限のある者の判断で締結したこと |
| 相手方とのメールの送受信記録、相手方の担当者や本人確認の情報 | 契約書の成立が争われたとき |
| 履行の記録(注文書、納品書、検収書、請求書) | 契約に基づいて取引が行われたこと |
契約書の成立が争われた場合、成立の真正は、本人による押印の有無だけで判断されるものではありません。文書の成立経緯を裏付ける資料など、証拠全般に照らして裁判所が判断します(注4)。そのための手段として、政府のQ&Aは次のものを挙げています(注5)。
- 継続的な取引関係がある場合は、取引先とのメールのメールアドレス・本文・日時などの送受信記録の保存
- 新規に取引関係に入る場合は、契約締結前の本人確認情報(氏名・住所等とその根拠資料)、その入手過程(郵送受付やメールでのPDF送付)、契約の成立過程(メールやSNS上のやりとり)の記録・保存
- 電子署名や電子認証サービスの活用(ログインIDや日時、認証結果などを記録・保存できるサービスを含みます)
同じQ&Aは、立証を容易にする方法として、契約書のPDFを送るメールの宛先に、担当者に加えて法務担当部長や取締役などの決裁権者を含めることや、PDFを含む送信メールと送受信記録を長期に保存することも挙げています(注5)。
履行の記録は、契約書の代わりにはなりません。売買であれば、売主が契約を証明するために用意する書類として、売買契約書のほか、注文書、納品書、帳簿、請求書控えなどがあります(注6)。もっとも、請求書、納品書、検収書のように法律行為が記載されていない文書は、成立の真正が認められても、その基礎となる契約の成立や内容がそこから直接に認められるわけではありません(注7)。
交渉の経緯を残すのは、条項の意味が争われたときに備えるためです。交渉の過程で相手方の修正要求を断った、あるいは受け入れたという経過は、契約書の本文には残りません。
2 どこに置くか
原本は、鍵のかかる場所に保管し、日常の業務には写しを使います。基本契約と個別契約、変更の覚書は一連のものなので、まとめて保管します(注8)。原本の保管と電子化の手順は、別稿「契約書の通数と原本の管理:製本・保管・電子化」が扱います。
原本以外の記録は、契約書と同じ単位でまとめておきます。契約台帳の番号ごとにフォルダを作り、最終版のデータ、交渉のメール、決裁の記録を入れておけば、契約書から経緯までをたどれます。
3 どのくらい残すか
法人が契約書などの書類を税法上保存しなければならない期間は、別稿「電子帳簿保存法と保存要件」で扱いました。この期間が過ぎても、契約上の権利義務が残っていれば、契約書と経緯の記録は紛争の証拠として必要になります。
紛争に備える期間は、消滅時効から考えます。債権は、債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間、または権利を行使することができる時から10年間行使しないときに、時効によって消滅します(注9)。起算点は契約を締結した日ではなく、権利を行使できるようになった時です。契約が終了した後に、終了後も効力を持つ条項(秘密保持など)の違反や、引き渡した物の不具合が問題になることもあります。記録を残す期間は、締結日からではなく、契約上の権利義務がすべて終わった時から数えます。消滅時効の仕組みは、別稿「消滅時効の全体像と契約実務への影響:協議の合意という道具」が扱います。
三 つまずきやすいところ
1 メールが個人のフォルダにしかない
交渉のメールは、担当者個人のメールボックスに残っていることがほとんどです。メールの保存期間がシステムで決まっている会社では、争いになったときには消えていることもあります。政府のQ&Aが挙げる送受信記録の保存(注5)は、個人のメールボックスに任せていては続きません。締結した時点で、契約書を送受信したメールと主要な交渉のメールを、二の2のフォルダに書き出しておきます。
2 担当者が退職して経緯が分からなくなる
契約書の手書きの修正箇所が誰の記載か問題になったとき、後日では分からなくなっていることが多いものです(注8)。交渉の経緯も同じで、担当者が異動や退職をすると、なぜその条項になったのかを説明できる人がいなくなります。手書きの箇所に付箋で記載者を明記すること(注8)と同じように、締結の時点で、主な交渉の論点と結論を数行のメモにして、契約書と一緒に残しておきます。
3 電子契約のログをどこに残すか
電子契約サービスには、署名した日時や認証の結果を記録・保存できるものがあります(注5)。ただし、その記録はサービス事業者のサーバにあることが多く、サービスを解約すると見られなくなるおそれがあります。解約時のデータの扱いは、別稿「電子帳簿保存法と保存要件」で触れました。署名済みのファイルと合わせて、サービスが発行する締結の証明書などを自社のフォルダにも保存しておくと安全です。
四 仕組みにする:契約台帳に紐づける
締結の記録は、担当者の心がけでは残りません。契約台帳に登録する時点で、記録がそろっているかを確かめる手順にしておきます。
締結時の確認事項(契約台帳への登録時) ・署名・押印済みの原本(電子契約は署名済みファイルと締結の証明書) ・合意した最終版のデータ ・契約書を送受信したメールと、主な交渉のメール ・主な論点と結論のメモ(数行でよい) ・社内の決裁の記録 ・保存期限(契約上の権利義務が終わる時期から決める)
契約台帳の作り方と期限の管理は、別稿「契約台帳と期限管理」が扱います。
契約書は締結の結果を残すものであり、締結に至る経過は、残そうと決めて残さなければ残りません。
本稿で扱わなかったこと
署名・押印が契約書の成立の推定にどう働くかは、別稿「署名・記名押印の意味と二段の推定」が扱います。残した記録が紛争の場でどう評価されるか(メール・議事録・チャットの証拠力)は、契約紛争と証拠を扱う章の射程です。
参考文献等
註
(注1)堀江泰夫『契約業務の実用知識〔第3版〕』(商事法務、2025)13頁
(注2)前掲注1・14頁
(注3)田中豊『事実認定の考え方と実務〔第2版〕』(民事法研究会、2021)74〜75頁
(注4)内閣府・法務省・経済産業省「押印についてのQ&A」(令和2年6月19日)問3
(注5)前掲注4・問6
(注6)前掲注1・17頁
(注7)前掲注4・問4
(注8)弁護士法人飛翔法律事務所編『実務必携 契約書チェックマニュアル』(商事法務、2024)33頁(Q18)
(注9)民法166条1項
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