一 問題の所在:「そんなつもりではなかった」は通るか
契約を結んだ後で、前提が違っていたと言われることがあります。工場用地として買ったのに建築できない土地だった、税金がかからないと思って売ったのに課税された、相手の説明が事実と違っていた。
どの場合も、契約書の文言どおりの合意はできています。争われるのは、その合意に至る過程です。民法は、この過程に問題があった場合を、心裡留保・虚偽表示・錯誤・詐欺・強迫として整理しています。
本稿は、この5つのうち実務で問題になる錯誤と詐欺を中心に、契約書の書き方に何が跳ね返るかまでを扱います。
二 制度の枠組み
1 心裡留保と虚偽表示(民法93条・94条)
心裡留保は、表意者が真意ではないことを知ってした意思表示です。原則として有効ですが、相手方がその意思表示が表意者の真意ではないことを知り、または知ることができたときは無効になります(民法93条1項ただし書)。この無効は、善意の第三者に対抗できません(同条2項)。
虚偽表示は、相手方と通じてした虚偽の意思表示で、無効です(民法94条1項)。この無効も、善意の第三者に対抗できません(同条2項)。
どちらも、契約書の作成実務で正面から問題になることは多くありません。
2 錯誤(民法95条):無効から取消しへ
2017年の改正で、錯誤の規定は大きく変わりました。改正のポイントは、①表示錯誤と動機の錯誤の定義の明文化、②要素の錯誤の要件の明文化、③表意者に重過失がある場合の例外の明文化、④効果を無効から取消しに変更、⑤第三者保護規定の創設(善意無過失の第三者を保護)の5点です(注1)。
条文は2種類の錯誤を並べています。意思表示に対応する意思を欠く錯誤(民法95条1項1号)と、表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤(同項2号)です。
改正前民法のもとでは、錯誤は「内心の効果意思と表示の不一致」であり、原則として動機の錯誤は95条の錯誤とはならないと説明されていました。もっとも、実際に問題になるのは動機の錯誤の場合がほとんどですから、改正前民法では動機の錯誤を解釈で対応していました(注2)。改正民法は、これを2号の錯誤(基礎事情の錯誤)として明文化し、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限って取り消せるものとしました(民法95条1項2号・2項)(注2)。
取消しには、いずれの錯誤でも、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであることが必要です(民法95条1項柱書)。表意者に重大な過失があるときは、相手方が悪意・重過失であった場合と、相手方が同一の錯誤に陥っていた場合を除いて取り消せません(同条3項)。
3 詐欺・強迫(民法96条)
詐欺または強迫による意思表示は、取り消すことができます(民法96条1項)。第三者が詐欺を行った場合は、相手方がその事実を知り、または知ることができたときに限って取り消せます(同条2項)。改正前は「知っていたとき」に限られていたので、範囲が広がっています(注3)。
4 第三者保護と、取消しの制限
錯誤取消しも詐欺取消しも、善意でかつ過失がない第三者に対抗できません(民法95条4項、96条3項)。
取消しには期間の制限もあります。錯誤の効果を取消構成に変更したことによって、取消権者の制限(民法120条2項)、追認(民法122条以下)、取消権の行使期間(民法126条)など、取消しの制限に服することとなりました(注3)。取消権は、追認をすることができる時から5年、行為の時から20年で時効消滅します(民法126条)。
三 解釈:動機の錯誤はいつ取り消せるか
実務でほとんどの争いは、民法95条1項2号の錯誤です。この錯誤による取消しには、条文が追加の要件を置いています。その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限る、というものです(民法95条2項)。
改正前の判例は、動機が相手方に表示されて法律行為の内容となったときに要素の錯誤となるとし、その表示は黙示的なものでもよいとしていました(注4)。95条1項2号と2項による規律は、判例の定式と表現は異なるものの、判例の定式をより明確にすることを企図するもので、改正前民法の解釈論は維持され、判例法理を変更するものではありません(注5)。
要件は「表示」で終わりません。動機にかかる事情は、表示されることだけでは足りず、法律行為の基礎(意思表示の前提となる事情)であることも要件となりました(注5)。たとえば、財産分与をした者が、自分には譲渡所得税が課されないと思っていた場合でいえば、課税されないことが合意の前提になっていたことと、その前提が表示されていたことの両方が、錯誤取消しの要件になります(注5)。
なぜ表示だけでは足りないのか。法制審議会の部会でこの点が議論されたときには、次のような考え方が示されていました(注5)。
動機の錯誤であるから、契約をする前提となった事情が単に表意者から表示されるだけで、相手方が取消しリスクを負わなければならない理由にはならないであろう。前提事情については意思表示をする当事者が本来情報収集すべき自己責任の範囲の問題であり、(中略)意思表示の前提事情や動機が表示されているだけでは、相手方がその事情を認容したとは言えない。表意者の錯誤の前提となった事情が相手方に表示され、それを相手方が受け入れたのであれば契約が取り消されてもやむを得ないかもしれない。つまり、表示された事情が法律行為の内容になる場合である。(注5)
これに対しては、相手方の主張が容易に認められないことに疑問を呈する意見もあり、動機の表示で足りるか、法律行為の内容となることが必要かの対立が最後まで残ったまま、条文は「表示されていた」という表現でまとまりました(注5)。
「前提が違っていた」という主張が通るかどうかは、その前提が契約の内容になっていたかどうかで決まる、ということです。
四 契約実務への還元
1 前提事実を契約書に書いておく
三の帰結は、契約書の作り方に直結します。取引の前提にしている事実があるなら、それを契約書に書いておく。書いてあれば、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていた、という要件の主張がしやすくなります。
書き込む場所は、条項の種類によって変わります。
| 書く場所 | 何を書くか |
|---|---|
| 前文 | 取引に至った経緯、当事者が前提としている事業上の事情 |
| 目的条項 | 何のためにこの契約を結ぶか |
| 定義条項 | 前提となる数量・仕様・規格 |
| 表明保証条項 | 相手方に確認させる事実(許認可の有無、係争の不存在、財務状況など) |
2 表明保証条項との関係
表明保証条項は、一定の事実が真実であることを相手方に表明させ、保証させる条項です。錯誤の枠組みから見ると、この条項は、前提事実を契約の内容に取り込む働きをしています。
表明保証が入っていれば、前提が違っていたときに、錯誤取消しを主張するまでもなく、表明保証違反として補償や損害賠償を求める道が開けます。契約をなかったことにする取消しと比べて、効果が条項で決まっている分、当事者にとって予測しやすくなります。
3 相手方の説明が事実と違っていたとき
相手方の説明を信じて契約したが、それが事実と違っていた場合は、詐欺(民法96条1項)と錯誤(民法95条1項2号)の両方が問題になります。相手方による惹起型錯誤は明文化されませんでしたが、動機の錯誤の適用範囲内にあると考えられ、改正民法下では惹起型錯誤は主張しやすい状況となったと評価することもできます(注3)。
詐欺を主張するには相手方の故意(欺罔の意思)の立証が要りますが、錯誤にはそれが要りません。その代わり、錯誤の重要性と、前提とした事情が表示されていたことを示す必要があります。取消しを検討する場面では、両方を並べて考えます。
本稿で扱わなかったこと
表明保証条項の書き方は、別稿「表明保証とは何か:英文契約からの流入と和文契約での機能」が扱います。無効と取消しの違い、追認と取消権の期間は別稿「無効・取消し・条件と期限」、相手方の説明が不十分だった場合の責任(説明義務違反)は04章で扱います。
参考文献等
註
(注1)大阪弁護士会民法改正問題特別委員会編『実務家のための逐条解説 新債権法』(有斐閣、2021)16頁
(注2)前掲注1・17頁、19頁
(注3)前掲注1・24〜25頁
(注4)最判平成元年9月14日集民157号555頁(昭和63年(オ)第385号)。前掲注1・19頁も参照
(注5)前掲注1・20〜21頁
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