一 この条項は何をしているのか
1 当事者を特定し、略称を決める
契約書の表題の次に来る一文が前文です。前文の基本的な目的は、当事者を正確に表示するとともに、契約書の中で「甲」「乙」「丙」「丁」等と略する場合の表記を説明することにあります(注1)。
記載するのは、契約の締結主体となる契約当事者名です。略称は「甲」「乙」「丙」「丁」「戊」のように表記することが多いのですが、「委託者」と「受託者」、「売主」と「買主」などのように契約上の立場・役割の呼称を用いる場合もあり、実際の当事者名を一部省略したものを用いる場合もあります(注2)。
前文に書けるものは、それだけではありません。前文には、契約当事者名に加え、契約内容の概要(例:「●●業務の委託に関して」)や契約締結日(例:「●●年●月●日付で」)を記載する場合もあります。もっとも、契約内容は契約書本文から読み取ることが可能であり、契約締結日は署名欄上部に記載されるのが通常ですから、この2つは必須の記載というわけではありません(注3)。
前文に最低限置かれるのは、当事者の表示と略称の2つです。
2 前文は解釈の材料になる
必須ではない部分に、この条項の実務上の意味があります。契約書を締結する前の交渉段階で重視した事情は、積極的に前文に書き込んでおくことが考えられます(注4)。
かかる前提事情の記載は、具体的な契約条項における規制理由の根拠を前文段階で明示しておくという機能を持ちます。たとえば、商流拡大に関する義務条項を設けたり、商流が拡大せず販売量が増大しなかった場合に当該買主への供給を制限する条項を設けたりするときには、かかる条項を正当化する理由として、契約の前提事情として買主側が商流を拡大することを約束していたという事情を前文に記載しておくことは有効でしょう。(注5)
その先もあります。前提事情は契約書の各条項の解釈にも影響を及ぼし、「重要な事項」という文言が契約書において用いられているようなケースでは、「重要な事項」か否かの解釈に当該前提事情が影響を及ぼすこともあります(注6)。
前文は、通常は義務を定める場所ではありませんが、義務の読み方を左右します。「約して」「誓約して」のように具体的な約束が書かれていれば、それ自体が合意の内容と解釈されることもあります。
二 よくある条項例
最も短い型は、当事者と略称だけのものです。
●●株式会社(以下「甲」という。)と ●●株式会社(以下「乙」という。)とは,次のとおり●●契約(以下「本契約」という。)を締結する。(注7)
当事者が多い契約では、立場も添えます。
株式会社日本(以下「甲」という。)と関東株式会社(以下「乙」という。)と関西株式会社(以下「丙」という。)と九州株式会社(以下「丁」という。)は、甲が売主となり、乙丙丁が買主となる売買契約について、本日、次のとおり売買に関する基本契約を締結する。(注8)
三 問題点
1 背景が書かれていない
雛形の前文は、当事者と略称だけで終わっているのが普通です。それで足りる契約も多いのですが、交渉の過程で重視した事情がある場合には、書かないことが損になります。
別の実務書は、日本の契約との違いを次のように整理しています。
英文では,契約を結ぶに至った動機や経緯が当事者の意思解釈として重要となる場合があり,延々とこれらを記載することがある。通常,日本の契約では,これら動機や経緯は記載せず,ただちに第 1 条から始まることが多いが,日本の契約でも,最近はこの英文スタイルをまねるものもある。契約を結び趣旨・目的,契約締結に至った経緯等を記載する場合が多い。(注9)
書かない慣行が先にあり、書く例が後から増えてきた、という順序です。雛形に背景の記載がないのは、書く必要がないからではなく、そういう慣行だったからです。
2 背景を書きすぎて、義務と読まれる
反対の事故もあります。前文に「乙は、本契約締結後3か月以内に販売体制を整備することを前提として」と書けば、それが義務なのか前提にすぎないのかが争いになります。
英文由来の型では、背景を「第1条(背景)」として本文の第1条に置きます(注10)。頭書きに置くか、第1条として本文に置くかで、読まれ方が変わります。本文に置けば条項として読まれ、頭書きに置けば前提の説明として読まれるのが素直です。長い背景を頭書きに詰め込むと、その境目が曖昧になります。
3 略称の取り違え
地味ですが、頻度の高い事故です。契約書上、当事者の記載は誤り(「甲」と書くべきところが「乙」になっているようなミス)が生じやすい部分です。ドラフト中は実際の当事者名を記載しておき、最後に「甲」「乙」にまとめて置換する、という工夫があります(注2)。
当事者が増えるほど危険も増えます。当事者が多い場合には、どの当事者が「甲」か「乙」かが分かり難くなり、契約書の作成時およびチェック時に誤謬が生じる危険があります(注11)。
四 改善例
1 当事者が3者以上なら、略称を名前にする
当事者数が多くて分かり難い場合には、会社名の短縮形等を用いることも考えられます。例は、次のとおりです(注11)。
株式会社日本(以下「日本」という。)関東株式会社(以下「関東」という。)と関西株式会社(以下「関西」という。)と九州株式会社(以下「九州」という。)は、日本が売主となり、関東・関西・九州が買主となる売買契約について、本日、次のとおり売買に関する基本契約を締結する。(注12)
読み手が「丙はどちらだったか」と戻らずに済みます。三者以上の契約では、これだけで審査の精度が上がります。
2 前提事情を1行で足す
背景を書くなら、条項と読まれない長さに収めます。前文の中に一句を差し込む形の例は、次のとおりです。
……甲が製造する〇〇機器及びその関連商品(以下「本件商品」という)について、乙丙丁がそれぞれの創意工夫によって積極的に商流を拡大するとの約定の下、本日、次のとおり売買に関する基本契約を締結する。(注13)
ほかにも、「各種の秘密情報について徹底した管理を行う旨を誓約して」「二次代理店を作らず自ら販売することを約して」といった前提事情を明記することが考えられます(注4)。
いずれも、本文の条項が何のために置かれているかを示す一句になっています。義務の内容そのものは本文に書き、前文にはその理由だけを置く、という役割分担です。
五 書き分けの分岐:前文に何を書き、目的条項に何を書くか
前文と目的条項は、書けることが重なります。切り分けは次のようになります。
| 書きたいこと | 置き場所 |
|---|---|
| 当事者の表示と略称 | 前文。一般には前文に置きます |
| 契約締結に至った経緯(過去の事実) | 前文。時点が締結前なので、条項として義務にはなじみません |
| 契約で実現しようとしている目的(将来の状態) | 目的条項。解除や不可抗力の判断で参照されます |
| 当事者が負う義務 | 本文の各条項。前文にも目的条項にも書きません |
| 長い背景を詳しく書く必要がある | 第1条を「背景」として立てます(注10) |
場面ごとには、次のように書き分けます。
| 場面 | 前文の書き方 |
|---|---|
| 二者間・単発の契約 | 当事者と略称だけで足ります |
| 三者以上の契約 | 略称を会社名の短縮形にします |
| 交渉で前提にした事情がある | その事情を一句で差し込みます |
| 英文契約に合わせる必要がある | 背景を第1条として立てる形も選べます |
本稿で扱わなかったこと
目的条項が解除や軽微性の判断にどう効くかは、目的条項を扱う記事が本体です。本稿では、前文との書き分けまでを扱いました。
当事者の表示(商号・本店所在地・代表者)と、三者以上の契約で義務の名宛人をどう書くかは、当事者の表示を扱う記事の射程です。
英文契約のRecitalsの書き方と、和文契約との対応は、英文契約を扱う章が引き受けます。
契約締結日をどこに書くか、締結日を遡らせることの可否は、締結日を扱う記事で扱います。
参考文献等
註
(注1)弁護士法人飛翔法律事務所編『実務必携 契約書チェックマニュアル』(商事法務、2024)45頁
(注2)幅野直人『企業法務1年目の教科書 契約書作成・レビューの実務』(中央経済社、2024)122頁
(注3)前掲注2・122頁
(注4)前掲注1・45頁
(注5)前掲注1・45〜46頁
(注6)前掲注1・46頁
(注7)前掲注2・122頁の文例
(注8)前掲注1・44頁の条項例
(注9)堀江泰夫『契約業務の実用知識〔第3版〕』(商事法務、2025)221頁
(注10)前掲注9・220頁の第1条(背景)
(注11)前掲注1・45頁
(注12)前掲注1・44頁の変更例1
(注13)前掲注1・45頁の変更例2
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