一 どういう場面か:整った契約書が届いた
取引の相手方から契約書のひな型が届きました。表題は「業務委託基本契約書」。体裁は整っていて、条項の並びにも欠けたところがありません。
こういう契約書を前にすると、これは標準的な契約書だという印象を持ちます。整った文書には、中立に見えるという性質があるからです。
しかし、その契約書は相手方が作ったものです。相手方の法務が、相手方の立場で、相手方に不利にならないように作った。契約の内容は原則として自由に定められますから、契約書を審査するときは、自己に有利になるように、少なくとも不利にならないように見ていく必要があります(注1)。相手方も、同じ自由のもとで、自己に不利にならないように作っています。相手方がそうしていることは、非難すべきことではありません。こちらも同じことをするというだけです。
相手方が提示する契約書では、相手方に有利な条項が綿密に規定されていることがしばしばあります(注2)。整っていることと、中立であることは、別のことです。緻密に整っているからこそ、偏りが見えにくくなります。
問題が起きるのは、読む側がこの前提を忘れたときです。整った契約書を業界の標準だと思い込み、標準に文句を言うのは失礼だと考えて、そのまま通してしまう。
この場面ですべきことは、2つに分けられます。すでに記載されている条項について自社に不利益なものはないか、不利益なものがあった場合にどのようにこれを修正するかを検討すること。そして、すでに記載されている条項のほかに、自社の利益を守るために本来あるべき条項が欠けていないか、新設すべき条項がないかを検討すること(注3)。立場からの読み替えは、ない条項の発見にまで及びます。
本稿は、この思い込みを外すための読み方を扱います。手順の全体像は別稿「レビューの手順を型にする」で示しました。本稿はその第3段階、リスク抽出にあたる部分です。
二 何を見るか
1 自社はどちらの側か
まず、自社の立場を一語で言えるようにします。
売主か買主か。委託者か受託者か。貸主か借主か。ライセンサーかライセンシーか。この一語が決まらないと、条項の有利・不利は判定できません。
あたりまえのようですが、実務ではここでつまずきます。つまずき方には型があります。
契約書の表題と実質がずれていることがある。「業務委託契約書」の中身が実は売買に近い、というような場合です。自社が負っているのが仕事の完成なのか、事務処理なのか、物の引渡しなのか。ここが違えば、契約不適合責任の条項をどう読むかも変わります。
一つの契約で立場が二つあることもある。開発委託契約で、自社が受託者でありながら、成果物の一部について自社がライセンサーになる。共同開発契約で、双方が情報の開示者であり、同時に受領者である。この場合、条項ごとにどちらの帽子をかぶって読むかを切り替える必要があります。
そして、契約書の中で甲乙が入れ替わることがある。ひな型を流用した契約書では、ある条項だけ元の契約書の甲乙が残っている、ということが実際に起きます。自社が甲だと思って読み進めていたら、第14条だけ甲と乙が逆になっていた、という例です。この種の誤りは、後で述べる読み方をすれば見つけやすくなります。
2 条項を裏返して読む
立場が決まったら、条項を一つずつ、その義務を自社が負ったらどうなるかという向きで読みます。
たとえば、次のような条項があったとします。
乙は、本業務の遂行に関し甲に損害を与えたときは、甲に対し、その一切の損害を賠償する。
自社が乙であれば、この条項は「一切の損害」という言葉の重さを検討する対象になります。逸失利益は入るのか。間接損害はどうか。上限はないのか。
自社が甲であれば、この条項は有利に働きます。ただし、有利な条項をそのまま置いておくことにも判断が要ります。極端に有利な条項は、後で公序良俗(民法90条)や信義則によって効力を否定される可能性がありますし、交渉の場では相手方に譲る材料として使えます。
損害賠償額の予定に関する条項や、損害賠償の範囲に関する条項は、いずれも一方当事者に有利になっていることが多く、特に注意を要します(注4)。裏返して読む対象として、まずここを見ます。責任の上限をどう設計するかは別稿「責任上限条項の設計と相場」が、損害の範囲がどこまで及ぶかは別稿「損害の範囲と予見可能性」が扱います。
3 相互条項に見えて片務的なもの
裏返して読むときに、いちばん見落とされるのが相互条項の顔をした片務条項です。
主語が「甲及び乙は」「甲又は乙は」となっていると、双方に同じ義務が課されているように見えます。実際にその義務を負うのが一方だけ、ということがあります。
秘密保持条項がその筆頭です。「甲及び乙は、相手方から開示された秘密情報を第三者に開示してはならない」と書いてあっても、実際に情報を開示するのが一方だけであれば、義務を負うのも実質的には他方だけです。相互の体裁を保ったまま、開示する側に有利な定義を置くこともできます。秘密情報の範囲をどう定めるかは、別稿「秘密情報の範囲の定め方」で扱います。
解除条項も同じ形をとります。「甲又は乙は、相手方が次の各号のいずれかに該当したときは……」と書いてあっても、列挙されている事由が一方にしか起こり得ないことがあります。「本業務の遂行を怠ったとき」は受託者にしか起こりません。解除事由の書き方は、別稿「解除事由の書き方:不明確な列挙・広範な無催告解除が招く事故」で扱います。
表明保証条項では、双方が表明保証をする形になっていても、保証の対象となる事項の重さが釣り合っていないことがあります。この条項については、自社に不利になっていないかを念入りに審査すべきです(注5)。
見分け方は単純です。その条項が発動する場面を具体的に思い浮かべ、そこに自社が立っているかを確かめる。立っていなければ、その条項は相互条項ではありません。
三 直し方:甲乙を入れ替えて読む
裏返して読むという作業を、確実にやる方法があります。本文の条項だけを機械的に置換して、甲と乙を入れ替えた検討用の版を作るのです。
Wordの置換機能で「甲」を仮の文字(たとえば「X」)に、「乙」を「甲」に、「X」を「乙」に、この順で置き換えるだけです。作業自体は1分もかかりません。ただし、前文の当事者の表示(「以下『甲』という」の部分)は置換の対象から外します。前文まで置き換えると呼び名が入れ替わるだけで、誰が誰に何をするかは変わらないからです。
入れ替えた版を読むと、まず不均衡が身体で分かります。「乙は甲の指示に従い」という条項を、「甲は乙の指示に従い」と読み替えると、それが受け入れられる内容かどうかが直感的に判断できます。理屈で考える前に違和感が出る、という点が重要です。
甲乙の取り違えも見つかります。先ほど述べた、ひな型の流用で甲乙が残っている条項は、入れ替え版を読むと明らかに不自然な文になります。
そして、相互条項の実質が見えます。入れ替えても意味が変わらない条項は、本当の相互条項です。意味が変わる条項は、片務的な条項です。
この作業を、契約書のすべてに対してやる必要はありません。分量の多い契約書では、リスクの重い条項に絞ります。金額に関する条項、責任に関する条項、契約の終了に関する条項。この三つを入れ替えて読むだけでも、見落としはかなり減ります。
修正案をどう書くかは、別稿「修正案の作り方と修正理由の書き方」で扱います。ここで確認しておきたいのは、入れ替えて違和感があったからといって、そのすべてを対称にする必要はないということです。取引には力関係があり、対価にも差があります。非対称であること自体は問題ではありません。問題は、非対称であることに気づかないまま合意することです。
四 相手方への説明のしかた
不均衡を指摘するときの言い方は、大きく二手に分かれます。
不公平だと言う。「この条項は一方的です」「対等ではありません」。この言い方は、相手方に反発を生みます。相手方の法務は、自社に有利に作ることが仕事ですから、有利に作ったことを非難されたと受け取ります。そして、多くの場合そこで議論が止まります。
もう一方の言い方は、この取引ではこの分担が合わない、というものです。「本件では当社が仕様の決定権を持たないため、成果物の適合性についてこの範囲の責任を負うのは、実態と合いません」。こちらは、条項の不公平ではなく、条項と取引の実態とのずれを指摘しています。
後者を使います。
相手方が動く理由になるからです。相手方も、実態と合わない条項を押し通して紛争になることを望んではいません。審査部門の役割は将来の紛争を回避することにあり、契約書の条項をめぐって争いになった時点で、たとえ裁判に勝ったとしても役割を果たしたとはいえない(注6)。この点は、相手方の法務とも共有できるはずの考え方です。
この言い方であれば、譲る余地も残せます。「不公平だから直せ」と言ってしまうと、直させることが目的になります。「実態と合わないから直したい」であれば、実態のほうを確認して、たとえば仕様の決定過程に自社が関与する形にする、という別の解き方も出てきます。
社内向けの説明については、別稿「事業部門への説明」で扱います。ここでは一点だけ。事業部門に渡した説明が、そのまま相手方に転送されることがあります。社内向けに「相手方のひな型は相当に一方的です」と書いた文書が相手方に届けば、交渉は難しくなります。社内向けの文書も、外に出てよい書き方をしておきます。
五 どこまで直すか
裏返して読むと、不均衡はいくらでも見つかります。ここで全部を直そうとすると、修正案が膨れます。
判断の基準は、その不均衡が現実化する場面があるかどうかです。
自社が乙で、「乙は甲の書面による事前の承諾なく本契約上の地位を第三者に譲渡してはならない」という片務的な条項があったとします。この不均衡は、自社が事業譲渡など契約上の地位を移す取引を予定していなければ、現実化しません。一方、自社が乙で、責任の上限が定められていない条項は、業務に事故が起きれば直ちに現実化します。
不均衡の大きさではなく、現実化する確率と、現実化したときの大きさで並べます。この仕分けの基準は別稿「どこまで直すか」で詳しく扱います。
そして、この記事が扱っているのは相手方のひな型を読む場面ですが、同じ労力を毎回かけずに済ませる方法があります。反復継続的に使用する契約書については、あらかじめ自社有利のひな型を作成しておくことが有益であり、単発型の契約書であっても、こちらから契約書案を提示する場合には、しっかりと自社の利益を守る案文を提示することが重要になります(注7)。裏返して読む作業を一度やり切ったら、その結果を自社のひな型に固定してしまう。以後は、相手方に裏返して読む労力をかけてもらう側に回れます。
もう一つ、直さないという判断をした条項については、直さなかったことを記録に残します。気づかなかったのか、気づいたうえで通したのかは、後から見ると区別がつきません。事故が起きたときに、この区別は決定的です。「気づいていたが、この取引の規模では受け入れる判断をした」という記録があれば、それは判断であって、見落としではありません。
本稿で扱わなかったこと
本稿は、書いてある条項をどう読むかだけを扱いました。裏返して読むという作業は、目の前にある条項に対してしかできません。
しかし、自社に不利な契約書の不利さは、書いてある条項よりも、書かれていない条項に出ることがあります。相手方が自社に有利な契約書を作るとき、最も効率のよい方法は、自社に不利な条項を書かないことだからです。損害賠償の条項がなくても法律上の責任は負いますが、責任の上限は条項に書かなければ設けられません。検収の条項がなくても、民法の通知期間や消滅時効は働きますが、自社に合った期限の管理はできません。
欠けているものを見つける作業は、条項を裏返す作業とは別の技術です。別稿「抜けている条項を見つける技術」がこれを扱い、その前提となる条項の分類は別稿「共通条項の機能分類」が示します。
参考文献等
註
(注1)愛知県弁護士会研修センター運営委員会法律研究部契約審査チーム編『新民法対応 契約審査手続マニュアル』(新日本法規出版、2018)3頁は、契約の内容は原則として自由に定められることから、自己に有利になるように又は不利にならないように審査する必要があるとします。
(注2)弁護士法人飛翔法律事務所編『実務必携 契約書チェックマニュアル』(商事法務、2024)19頁
(注3)同19〜20頁
(注4)前掲注1・78頁は、損害賠償額の予定条項および損害賠償の範囲に関する条項について、いずれも一方当事者に有利であることが多く、特に注意を要するとします。
(注5)前掲注1・78頁
(注6)前掲注1・9頁は、審査部門の役割は将来の紛争の回避にあり、契約書の条項をめぐって相手方と紛争になった場合には、結果的に裁判において自社が勝訴したとしても、紛争が生じたことをもって審査部門はその役割を果たしたとはいえないとします。
(注7)前掲注2・21頁
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